• 動物愛護ってなんだろう?
  •  皆さんは「動物愛護」と聞いてどんなことを思い浮かべますか?「ふれあい広場」や「動物愛護団体」等の名詞が思い浮かぶ方から、「捨て犬や捨て猫を助けること」や「動物をかわいがること」等の行為が思い浮かぶ方までさまざまだと思います。では実際、動物愛護とは一体何なのでしょうか?このページでは動物愛護を多角的に観察し、動物愛護とは何なのかを概略的に探っていきたいと思います。

  • 「動物愛護」が生まれた歴史的背景
  •  「動物愛護」という言葉が生まれたのは、明治時代だと言われています。それ以前にも、動物愛護的な思想や制度等は報告されていますが、文明開化に伴い明治2年(1869年)に馬車が日本に伝来し交通手段として発展したことから、それによる馭者の馬の取り扱い、すなわち虐待行為が問題となり、大規模な運動が巻き起こることになるのです。馬の残酷な取り扱いを問題視した、キリスト教牧師の広井辰太郎は、明治32年(1899年)、雑誌『太陽』及び『中央公論』にその問題に対する論文を掲載しました。そして、明治35年(1902年)に同じ志をもつ仲間とともに、日本で初めての動物愛護団体「動物虐待防止会」を設立しました。動物虐待防止会は、動物虐待を社会問題の1つとして捉え、普及啓発、教育、ロビー活動等を展開し、明治41年(1908年)に「動物愛護会」と改称した後は犬猫の保護にも力を入れ始めました。この「動物愛護会」への改称こそ、歴史的に初めて「動物愛護」という言葉を用いた瞬間であると考えられます。

     しかし、なぜ動物虐待防止会は発足後、わずか6年足らずで名称を変更したのでしょうか?その理由は今となっては知る術がありませんが、一考察として「動物虐待防止」というネガティブな表現が、一般的に受け入れ難く、活動の支障となっていたのではないか、ということが考えられます。その結果、動物を愛し護るという比較的ポジティブな表現である「動物愛護」が採用されたと推察されます。では、なぜ広井は発足時に動物虐待防止会という名称を用いたのでしょうか?それは、西洋の歴史と深く関係がありました。

  • イギリスで巻き起こった動物虐待防止運動
  •  19世紀初頭のイギリスは動物への虐待行為が日常化していました。それを問題視した議員のリチャード・マーチンは動物虐待を防止する法律の制定に尽力しました。そして、マーチンが議会に動物虐待禁止法案を提出してから約1年後の1822年に「マーチン法」すなわち「畜獣の虐待および不当な取り扱いを防止する法律(An Act to prevent the cruel and improper Treatment of Cattle)」が成立しました。マーチンは同法成立後、2週間もたたないうちに2人の男を、馬を虐待したとして罰金刑に処させています。

     マーチン法成立後もマーチンの勢いは止まらず、1824年に「SPCA(Society for the Prevention of Cruelty to Animals: 動物虐待防止協会)」の設立の中心人物となりました。同協会は設立目的としてマーチン法運用を主たるものとし、その活動は虐待行為の告発に力を注ぎました。その結果、設立年で63名の被告人を告発し、147件の有罪判決を勝ち取りました。その後、SPCAの活動は拡充の一途をたどり、1940年にはヴィクトリア女王より王立(Royal)の称号を得て、現在も世界的に活動する「RSPCA(王立動物虐待防止協会)」となりました。

  • 動物愛護のルーツはイギリスにある
  •  以上のようにイギリスで巻き起こった動物虐待防止運動は、日本の動物愛護運動に大きな影響を与えていたことが示唆されます。なぜならば、広井辰太郎がキリスト教の牧師であり、日本の動物虐待防止会を発足するおよそ80年前にイギリスで起こったこの運動を、知り得ていたと考えられるためです。そして、それを何より裏付けているのが動物虐待防止会の徽章(バッジ)にあります。同会の徽章の裏面には、「S.P.C.A」と彫られており、「動物虐待防止会」という名称もイギリスの「SPCA」を直訳したものであることを示しています。つまり、広井はイギリスのSPCAを模倣し、動物虐待防止会を設立したと考えられます。そのため、動物愛護の精神は動物虐待防止の精神と言い換えることができ、動物愛護の起源を知るためには、動物虐待防止運動が巻き起こった経緯を観察する必要があるのです。

  • 動物虐待防止精神に至った経緯
  •  なぜ19世紀に入りイギリスで動物虐待に対する問題意識が高まったのでしょうか?それは人々の間で動物に対する痛みの感受性、動物への同情心が高まったと考えられます。それは、ダーウィニズムに代表される科学的知識によって、人間が超自然的な存在ではなく動物の直接の子孫だという認識が高まったことと、科学に対する評価が高まったためであると言われています。つまり、それまで定着していた、動物は魂を持たないとしていたキリスト教の思想と、動物機械論を提唱したデカルト思想を覆すような、人間と動物の連続性の発見によって、動物が苦痛を感じるものであるという認識が広まったと考えられます。動物が苦痛を感じるということは、今となっては当たり前のことですが当時からすれば大きな発見でした。

  • 日本とイギリスの違い
  •  このように、動物愛護の始まりは動物虐待防止運動に起因し、それは動物の苦痛の認識が起源となっていると考えられます。しかし80年近い遅れがあるとしても、現代の日本とイギリスの動物に対する配慮の差は大きく開いてしまっています。その差はなぜ生じたのでしょうか?それは、イギリスは動物の苦痛を取り除くため、それを具現化し法律で規制し動物の福祉を確立していったのに対し、日本はそれを観念化し思想・精神の普及に重点を置いていったことが示唆されます。つまり、イギリスは客観的に動物を見ることにより動物の幸福を、日本は主観的に動物を見ることにより動物をかわいがる、という目線の違いが生まれたと考えられます。

  • 動物問題を解決へ導く活動
  •  では次に現代の動物愛護運動について観察していきたいと思います。動物に対する苦痛の認識から生まれた、動物虐待防止運動は現代ではさまざまな思想を展開させています。例えば、動物福祉や動物の権利、もちろん動物愛護もそれに含まれます。それらは目的や考え方によって活動自体も大きく異なります。ここでは、その活動の代表的なものを幾つか簡単に紹介したいと思います。

  • 動物福祉(Animal Welfare)
  •  WSPA(世界動物保護協会)によると動物福祉とは「動物の身体的、行動的、精神的な要求の充足度」であると定義されています。つまり、動物福祉は動物の立場にたち彼らのQOL(quality of life:生活の質)の向上を図るものです。「かわいそう」という感情に依って動物を単に可愛がるのではなく、科学的根拠(行動学、生理学、生態学など)に基づいて動物の心理的幸福を追求するのです。動物福祉は人間による動物の利用を許容していますが、その中での動物たちが受ける苦痛や苦悩を排除するという考えのもとに成り立っています。

  • 動物の権利(Animal Rights)
  •  人間がもつ権利を動物にまで拡張しようという形で始まった活動です。動物の権利論においては、動物は道徳的主体ではないが、独立した固有の価値を有する存在であり、平等な道徳的地位、道徳的権利を持つ存在であるとされています。そのため、動物を利用することに対して反対の姿勢をとります。具体的な活動としては、動物実験の全廃、商業的畜産の全面的解体、商業的及びスポーツとしての狩猟の全廃などが挙げられます。また、権利の適用範囲は哺乳類のみを対象とするものから、全ての動物を対象とするものまでさまざまです。

  • 動物の解放(Animal Liberation)
  •  動物の解放論とは、功利主義の立場をとった上で、理性的で自己意識のある存在である生き物は生きる権利を持つし、快苦を感じる能力を持つ生き物は平等な配慮を受ける権利を持つとするものです。動物の解放論は動物を大きく3つに分類しています。1つは理性的で自己意識を持つ存在として人間を始め、類人猿、イルカ、鯨などを挙げ、これらは生き続けたいという欲求を持っており、生命への権利を持ち得るとしています。2つ目は、快苦の感覚を持つが、人格を持たないものとして、犬、猫、豚、アザラシ、クマなどを挙げ、これらは平等な配慮を受ける権利は持つとしながら、自己意識を持っていないため生命への権利は持たず、代替可能な存在であるとみなしています。3つ目は、自己意識も感覚もないものとして、軟体動物や昆虫などを挙げ、これらは感覚能力がないので、平等な配慮の範疇外の存在としています。

  • 動物愛護
  •  さて今回の主題である動物愛護についてですが、先述したように動物愛護とは日本で生まれたものであり、日本固有のものです。現代の日本における動物愛護運動はペット問題のみを対象とする傾向にあり、それを行う動物愛護団体は把握しきれないほど存在しますが、多くの団体が理念を掲げていません。強いて言うならば、各々の活動者が「かわいそう」と思う事象に対し、個々の主観で「かわいそう」ではない状態にすることが一貫した傾向として挙げられます。活動内容としては、飼育放棄された犬猫の保護・譲渡活動が最も多く、それのみに限られることが多いと感じられます。(斯く言う私どもも、現時点ではペット動物の問題のみしか扱っていませんが、あくまでも「神奈川県“動物”愛護協会」であるため、行く行くは他の問題(実験動物、産業動物、展示動物等)にも取り組んでいきたいと考えています。)

  • 世論からみた動物愛護
  •  上記の分類を見ると、動物愛護というものの理念ははっきりしておらず、他の思想に比べてあまりに頼りないように思えます。しかしながら、その脆弱さを持ちながら社会一般で当たり前のように使われている現状があります。それは何故でしょうか?そこで、世論として「動物愛護」とはどういう位置づけなのかを考えてみたいと思います。

     日本において動物愛護とは、一般的に「動物をかわいがること」として位置づけられているように思われます。それは、「動物愛護」という言葉は学校飼育やふれあい教室など児童教育の場で多く使われており、その目的としては命の大切さを実感してもらうことにありますが、行為としては「かわいがる」ということになるからだと考えられます。また、「動物愛護」=「動物をかわいがること」とした場合、動物をかわいがるという精神は年々上昇してきていることが、意識調査からも分かっています。つまり、動物愛護は人々にとって動物、主にペットをかわいがることであり、その精神は一般市民の中にも広がり続けていると考えられます。

  • 動物愛護団体批判
  •  しかし、「動物愛護」と「団体」という言葉が結びつくと、その位置づけは変わってきます。日本の世論として、「動物問題を解決へ導く活動」を行なっている団体は動物の権利であろうと、動物の福祉であろうと、すべて「動物愛護団体」であり(環境保護の観点から野生動物の保護・保全を行なっている団体は「自然保護団体」となる)、「動物愛護団体」=「過激な団体」という負のイメージを抱く人が多く存在します。この背景として、海外の動物の権利団体による日本での活動が考えられ、最近の事例ですと、捕鯨船への威嚇行為等が挙げられます。

     また、社会的に「過激」な行為を行なっていなくても、動物愛護団体は批判されます。なぜならば、動物愛護団体に属する人の中には、あまりにも主観的に物事を考え(特に犬猫に関して)、その主張を頑として曲げないことから、社会性に乏しいと判断されるからです。先述したように動物愛護の理念は定まっておらず、そのため動物愛護運動を行なっている人々の間でも主義・主張はさまざまです。そのため、社会から敬遠されることがしばしばあります。

     このように、世論の中での動物愛護は質的に「かわいがる」と「かわいそう」が内在し、「かわいがる」にはポジティブなイメージとして世論は受け入れ、「かわいそう」は誤解から「過激」というイメージも相まって、ネガティブなものとして敬遠されるという二面性を持っているといえます。しかしながら、昨今のマスメディアによるペット問題の報道から、動物愛護団体に対するイメージも変化しつつあると考えられます。

  • これからの動物愛護
  •  以上、「動物愛護」についていろいろな視点から観てきました。動物愛護は明治時代に誕生し、それはイギリスの動物虐待防止運動を模倣したものであり、それらは動物の苦痛に対する配慮によって起こりました。その後、日本は動物愛護というものを人間の視点である「かわいがる」や「かわいそう」という観念化をし、主に「かわいがる」部分を世論に広め、「かわいそう」な部分は一部の人間によって問題視されてきました。そして、その「一部の人間」が動物愛護活動を行っていったのですが、「「かわいそう」と思う事象に対し、個々の主観で「かわいそう」ではない状態にする」といったように動物たちの意志を汲み取ることなく、人間の主観で判断してきてしまいました。このことを踏まえ今後の動物愛護活動は、「かわいがる」と「かわいそう」という人間側の視点だけではなく、動物側の視点を客観的に取り入れていく必要があると考えられます。

    2009年3月11日
    後藤 章浩(副会長・事務局長)

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  • 参考文献・ウェブサイト
  • 青木人志 (2002) 動物の比較法文化―動物保護法の日欧比較―. 有斐閣

    伊勢田哲治 (2006) 明治期動物愛護運動の動機づけはいかなるものであったか―関係者の分析を通して―. 社会と倫理(記念号). 20:139-153.

    佐藤衆介 (2005) アニマルウェルフェア―動物の幸せについての科学と倫理―. 東京大学出版

    近森高明 (2000) 動物愛護の<起源>――明治30年代における苦痛への配慮と動物愛護運動. 京都社会学年報. 8: 81-96.

    藤井可 (2007) 18世紀にイギリスに於ける動物への道徳的配慮:現代の動物倫理との関係を探る. 先端倫理研究:熊本大学倫理学研究室紀要. 2: 119-142.

    WSPAウェブサイト. http://www.wspa-international.org/ (2009.3.11現在)

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